塾の規則
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寛永16年(1639年)、藤樹32歳の頃には塾としてもひとつの形ができあがったようで、「藤樹規」および「学舎座右銘」というものがつくられた。いずれも生徒の心得のようなものである。「藤樹規」は、額にして書院の壁に掛けられていた。それは以下の六条の心得である。 一、大学の道は、明徳を明らかにするに在り。民を親しむに在り、至善に止まるに在り。一、天命を畏れ、徳性を尊ぶ。一、博く之を学び、審らかに之を問い、慎んで之を思い、明らかに之を弁じ、篤く之を行う。一、言ふに忠信、行うに篤敬。忿(いかり)を懲らし、欲を塞ぎ、善に遷(うつ)り過を改む。一、其の義を正して、其の利を謀らず。其の道を明らかにして、其の功を計らず。一、己の欲せざる所、人に施すなかれ。行なって得ざること有れば、諸を己に反り求めよ。。 彼は、村人たちの教育にも誠意と情熱を注ぎ、人を感化した。「村民の之を尊信すること神の如く」であり、彼が亡くなった時には「隣里郷党皆涕泣して柩を送る。其の状恰も親戚を喪するが如し」だったと伝えられる。彼の弟子に、熊沢蕃山、淵岡山という二人の陽明学者がいる。
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