塾の実態
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/02 05:22 UTC 版)
大塩は幕吏に与えられる敷地五百坪に及ぶ屋敷に住み、洗心洞はその一角に作られていた。森田康夫著の『大塩平八郎の時代 洗心洞門人の軌跡』(校倉書房 1993年)によると 大塩邸は、玄関を上がって右側に塾があり、左の方に読礼堂といわれた講堂があった。そして、その奥が中斎と呼ばれた大塩の書斎があった。講堂の西側には、『学堂西掲』として王陽明が竜場に追放されたときに、その地の書生に示した立志・勤学・改過、積善の額が掲げられ、東側には『学堂東掲』として、大塩が独学で学んでいた陽明学に、開眼するきっかけとなった、呂新吾の格言十七ヶ条の額が掲げられていた。
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