塾の性格と規模
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/09 08:51 UTC 版)
西園寺公望自身が、「大いに勤王家を養成するという抱負」で塾を設立したと述べている通り、私塾立命館は他の公家家塾とは異なり、初めから一般的な教育機関としての性格を備えていた。そのため、開設当初は平穏な詩会の場に過ぎなかったのが、塾の噂が各地に広がるにつれ、多くの若者が集まって内外の時事問題を議論する場へと変化、ついには校舎を増築するほどまでに成長している(木村毅編『西園寺公望自伝』)。西園寺自身の回想によると、西園寺および門客・家臣以外にも、諸藩からもかなりの塾生が集まっていたようである。塾の評判が高くなるにつれてさらに多くの若者が集まるようになり、ついには100人程度までにふくれあがったことが知られている。
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