洗心洞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/31 05:30 UTC 版)
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洗心洞(せんしんどう)は、幕末(江戸時代末期)に、現在の大阪府、大阪市にかつて存在した大塩平八郎の私塾である。
大阪東町奉行で大塩を吟味役に取り立ててくれた高井実徳が、高齢を理由に奉行職を引退した後、大塩は与力を辞職し、与力時代から開いていた、洗心洞で『
大塩邸は、玄関を上がって右側に塾があり、左の方に読礼堂といわれた講堂があった。そして、その奥が中斎と呼ばれた大塩の書斎があった。講堂の西側には、『学堂西掲』として王陽明が竜場に追放されたときに、その地の書生に示した立志・勤学・改過、積善の額が掲げられ、東側には『学堂東掲』として、大塩が独学で学んでいた陽明学に、開眼するきっかけとなった、呂新吾の格言十七ヶ条の額が掲げられていた。
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脚注
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