堺港
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 04:36 UTC 版)
三津七湊の1つ。応仁の乱以降、遣明船は西軍に占領された兵庫津を避けて堺港を発着するようになり、16世紀に入ると堺商人たちの活躍で南蛮貿易の一大拠点へと発展した。しかし、大坂の陣によって堺市街は灰燼に帰し、江戸時代には鎖国政策と大和川の付け替えによる土砂の流入で港湾機能は完全に衰退した。もとは現在地よりやや北東の堺区海山町付近に位置していたが、寛政年間の復興により現在地に新たに構築された。明治以降も改良工事が行われてきたが、1934年9月の室戸台風で壊滅し、1936年に大阪府が改修した。1957年、大阪府議会が堺港大臨海工業地帯造成計画を可決。埋立造成工事が行われ、八幡製鐵堺製鐵所などを誘致し、臨海工業地帯の物流を支える港として整備された。1959年6月に重要港湾、1962年7月には特定重要港湾に指定された。臨海工業地帯造成以前の堺港は「旧堺港」として堺泉北港の一部となっているが、主にプレジャーボートの停泊地として利用されている。大波止の旧堺燈台、小波止の龍女神像がランドマーク。
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