報道記者への攻撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 05:15 UTC 版)
「2014年ウクライナでの親ロシア派騒乱」の記事における「報道記者への攻撃」の解説
ドネツクの分離主義者による報道関係者への攻撃が数多く行われている。4月10日、ドネツィク州庁舎外にいた抗議者達がロシア語ではなくベラルーシ語を話したとしてベラルーシの報道記者を攻撃した。ウクライナの報道記者は、親ロシアの抗議者を怒らせないようロシア語で話すことを余儀なくされた。キーウ・ポスト紙によると、彼らは他にもロシア・トゥデイ記者を攻撃したが、同社は表沙汰にしなかった。4月12日、スラビャンスク警察署の外で武装民兵を支援した150人の団体は報道記者を敵視して「キエフに帰れ」と言った。 身元不明の男性がNews of Donbass編集長の車に火をつけ、その編集者は匿名の分離主義者から脅迫を受けていた。4月19日、ドネツィクの南東80kmのトレスにある現地紙「Pro Gorod」の事務所が放火された。 分離主義者は4月23日にコスティアンティニフカの新聞Provintsiaの事務所に放火しており、以前そこの新聞職員を「右派セクター」の党員だと決めつけていた。NTV (ロシア)局のベラルーシ人記者ステパン・チリッチは、ドニプロペトロウシク州で行方不明となった。イヴァーノ=フランキーウシクから来たReporter紙の写真記者エフゲニー・ガフィチはホルリフカで消息を絶ち、彼の所在は不明だがスラビャンスクの分離主義勢力に拘禁されていると報道された。さらに、ヴァイス・ニュースの報道記者サイモン・オストロフスキーは、スラビャンスクの制服を着た身元不明の人々に捕らえられ、4日後に釈放された。 ヒューマン・ライツ・ウォッチの報告書は「ウクライナにおけるロシア人記者の連続逮捕」を理由にウクライナ政府を批判した。
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