城館庭園(ホルトゥス・パラティヌス)
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「ハイデルベルク城」の記事における「城館庭園(ホルトゥス・パラティヌス)」の解説
ラテン語でホルトゥス・パラティヌス(Hortus Palatinus、プファルツ選帝侯の庭)という名が付けられている城館庭園 (Schlossgarten) は、選帝侯フリードリヒ5世の命令に従いサロモン・ド・コウによって建設された。この庭園は中世後期のハーゼンゲルトライン(Hasengärtlein、直訳すると「ウサギの小庭」)と呼ばれた砦の庭園を拡張したものである。そのために大規模な測量がなされた。また、城の防衛力は低下した。フリードリヒがベーメン王となりプラハに移ると、ホルトゥス・パラティヌスの造営は中止された。従ってこの庭園は完成されておらず、絵画によってパーテアの形や構成が遺されているだけである。ホルトゥス・パラティヌスは当時ヨーロッパで最も有名な庭園の一つで、世界の七不思議に次ぐ「8番目の不思議」と称された。 選帝侯カール・フィリップは1719年にフリードリヒ5世の庭の一部をバロック庭園に手直しする工事を始めた。 その後、1832年にカールスルーエ工科大学に林業植生学の講座が設けられ、植物栽培への興味は薄れていった。時代が過ぎるにつれ、広葉樹に針葉樹が混ざって植えられるようになり、庭園全体の印象も変化した。
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