坂本政一とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 坂本政一の意味・解説 

坂本政一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/10 23:54 UTC 版)

坂本政一
生誕 1909年1月19日
出身地 日本
死没 (1995-05-02) 1995年5月2日(86歳没)
学歴 大阪音楽大学卒業
ジャンル タンゴ
職業 バンドネオン奏者
担当楽器 バンドネオン
共同作業者 坂本政一とオルケスタ・ティピカ・ポルテニア

坂本 政一(さかもと まさいち、1909年1月19日 - 1995年5月2日)は、日本のバンドネオン奏者。タンゴ楽団『坂本政一とオルケスタ・ティピカ・ポルテニア』代表

略歴

1909年生まれ。大阪音楽大学卒業。

1939年以前より、バンドネオン奏者として活躍していた[1]。桜井潔楽団のコンサートマスターを務める。

1951年より、『坂本政一楽団』を設立する。1952年『坂本政一とオルケスタ・ティピカ・ポルテニア』と改称する。1966年に、アルゼンチンなど、世界演奏旅行を果たす。日本におけるタンゴの黄金期で、タンゴ楽団代表およびバンドネオン奏者として、早川真平と人気を二分する。レパートリーでは、アルゼンチンの古典タンゴとされる曲や、コンチネンタルタンゴとされる曲の他、日本の民謡のタンゴ風アレンジの『FUJIYAMA TANGO』もある[2]

1995年5月2日に死去する。86歳だった。

坂本政一とオルケスタ・ティピカ・ポルテニア

1951年に結成され、1952年に『坂本政一とオルケスタ・ティピカ・ポルテニア』と改称された。『オルケスタ・ティピカ・ポルテニア』の名称でも通じる。

1951年、ラジオ東京(現TBSラジオ)の開局と同時にスタートした『ポルテニア音楽の時間』にレギュラー出演。この番組は、戦後のタンゴブームの火付け役の役割を果たした。

1960年代森川倶志がメンバーとなる。同じく1960年代、当時キャバレーやダンスホールでバンドネオンを弾いていた門奈紀生がメンバーに加わる[3]

1966年11月、アルゼンチン最大のテレビ局『カナル・トレサ』に招かれ、阿保郁夫と共に演奏旅行、2年半の長きにわたってアルゼンチンウルグアイチリ、ヨーロッパに渡ってスペイン、さらにプエルトリコアメリカ合衆国ニューヨークマイアミテキサス)、ベネズエラメキシコと巡業、かつてない大成功を収めて帰国した。

帰国後、阿保郁夫と共に新楽団ヌエバ・ポルテニアを結成、6年間にわたって意欲的なタンゴ演奏活動を展開した。

CD

  • FUJIYAMA TANGO (ビクターエンタテインメント:1998年)

脚注




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「坂本政一」の関連用語

坂本政一のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



坂本政一のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの坂本政一 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS