地域内の町名・地誌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 15:19 UTC 版)
「吉田 (京都市)」の記事における「地域内の町名・地誌」の解説
いずれも1918年の町名変更によって吉田町(かつての愛宕郡吉田村)から分割され新設された。以降、1959年に吉田神楽岡町と浄土寺西田町・同馬場町と町域交換したことを除けば、現在に至るまで吉田地区内の町名の変更・新設はなされていない。 吉田泉殿町(よしだいずみどのちょう) かつての吉田町字「和泉殿」「関田」に相当し、町名はかつてこの近辺に所在していたと伝えられる「吉田泉殿」に由来する。吉田地区の北半部、今出川通りと東大路通りが交差する百万遍交差点の西南角に位置する住宅地で、町域の半分程度を京都大学吉田キャンパス「西部構内」が占める。 吉田牛ノ宮町( - うしのみやちょう) かつての吉田町字「牛ノ宮」に相当する。東大路通りの西側、吉田泉殿町と同橘町に挟まれる位置にある住宅地で、町域の中央を東一条通(吉田参道)が東西に貫通している。 吉田神楽岡町( - かぐらおかちょう) かつての吉田町字「神楽岡」「大塔」に相当する。吉田地区の東側に位置し、町域の大半が吉田山公園(緑地)および吉田神社の境内となっているが、町域の東側(吉田山東麓)は神楽岡通りが南北に走る住宅地となっている。 吉田上阿達町( - かみあだちちょう) かつての吉田町字「上阿達」に相当する。吉田地区の西側に位置し、鴨川東岸(川端通り)に面する住宅地。南東部に京都市立第四錦林小学校がある。 吉田上大路町( - かみおおじちょう) かつての吉田町字「上大路」に相当する。吉田地区の中ほどに位置する住宅地で、町域の北を吉田参道が走っている。 吉田河原町( - かわらちょう) かつての吉田町字「西河原」に相当する。吉田地区の西側、川端通りに面する位置にあり、町域の大半を京都精華学園中学校・高等学校や京都ドイツ文化センターなどの公的機関の敷地が占める。 吉田近衛町( - このえちょう) かつての吉田町字「近衛」「一丁ヶ辻」に相当する。吉田地区の南側で東大路通りに面する住宅地で、町域の半分程度を京大吉田キャンパス「吉田南構内」(京大吉田寮敷地)および京都市立近衛中学校の校地が占めている。 吉田下阿達町( - しもあだちちょう) かつての吉田町字「下阿達」。吉田地区の西南角に位置して川端通りに面する住宅地で、町域のほぼ中央を近衛通りが東西に走っている。町域の半分程度を京大吉田キャンパス「医学部構内」(薬学部・東南アジア研究所敷地)が占める。 吉田下大路町( - しもおおじちょう) かつての吉田町字「下大路」「東近衛」。吉田地区の東南部にある住宅地で、町域の西側を南北に走る吉田東通りは定食屋が建ち並ぶ学生街として知られる。 吉田橘町( - たちばなちょう) かつての吉田町字「宇野守」「窪」「堀ノ内」。吉田地区の中ほどに位置し、町域の北を古くからの街道として知られる志賀越道、西を東大路通りが通っている。町域のほとんどが京大吉田キャンパス「医学部構内」(医学部・附属病院敷地)が占めている。 吉田中阿達町( - なかあだちちょう) かつての吉田町字「腰前」「中阿達」。吉田地区の中ほどやや西寄りに位置する住宅地で、町域の中央を東一条通が東西に走っている。第四錦林小学校の隣接地に京都大学大学院総合生存学館(東一条館)があり、かつての左京区役所跡地である。 吉田中大路町( - なかおおじちょう) かつての吉田町字「中大路」。吉田地区の中ほどやや東寄りに位置する住宅地。 吉田二本松町( - にほんまつちょう) かつての吉田町字「矢倉」「二本松」。吉田地区のほぼ中心部に位置し、町域の北を吉田参道、西を東大路通りが通っている。町域の大半は京大吉田キャンパス「吉田南構内」(総合人間学部校地)が占めている。 吉田本町( - ほんまち) かつての吉田町字「御館」「山副」「六反」「冠石」。吉田地区の北側の中ほどに位置し、北を今出川通り、西を東大路通り、南を吉田参道に囲まれ、百万遍交差点の東南角を占める。町域の大半は京大吉田キャンパス「本部構内」に占められている。
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