土地の獲得
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 19:09 UTC 版)
1783年、アメリカ独立戦争の終わりを告げる第二パリ条約によって、ミシシッピ川から東の全ての土地がアメリカ合衆国のものとなった。これには現在のセントポール市となる所は含んでいるが、ミネアポリス市は一部だけであり、ミネソタ州の北東部、北中部および東中部は含まれていた。ミネソタ地域に関する条約の条文は毛皮交易業者によって報告された目印に基づいており、業者はスペリオル湖のアイル・フェリポー島、島の西のロング・レイクについて、およびミシシッピ川が現在のカナダを流れているという思いこみのような誤った報告をしていた。州の大半は1803年のルイジアナ買収の一部としてフランスより購われた。ミネソタ北部はルパート・ランドの一部と考えられていた。ミネソタとイギリス領北アメリカの正確な境界の定義は、1818年にアメリカとカナダの国境はウッズ湖の西では北緯49度線(現在北西三角と呼ばれる小さな地域を除く)と定めた米英会議までなされていなかった。ウッズ湖より東の国境論争は1842年のウェブスター=アッシュバートン条約まで続いた。 19世紀の前半を通じて、州の北東部は北西部領土の一部であり、続いてイリノイ準州、ミシガン準州、最後はウィスコンシン準州の一部となった。州の西部と南部は1838年にアイオワ準州の一部となるまで正式に組織に組み込まれなかった。
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