土佐板垣氏
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1602年(慶長7年)山内一豊の御代に、初代・板垣喜右衛門が召し抱えられ、二代・板垣喜右衛門、三代・板垣喜右衛門(只助)、四代・板垣只平、五代・板垣宇助、六代・板垣喜助(只平)と相続し、七代・板垣惣三郎(惇平)、八代・板垣堅助と続いた。九代目を相続したのが、土佐勤王党として活動した板垣高幸(寛之助)である。 三代目、板垣喜右衛門は、幼名「只助」と言い、谷秦山の高弟で、土佐藩の漢学者で『板垣氏自家雑記』(所収『南路志』巻112、113、114)という、土佐の藩政期を知ることのできる貴重な日記を残している。(『板垣氏自家雑記』の記載年は元禄11年3月~享保18年8月)幕末の当主・板垣高幸は土佐勤王党に属し、高幸の46歳の時に生まれた長男・板垣四十六郎は、1883年(明治16年)生まれで教育者として台湾第二中学校の校長を勤め台北市で客死した。
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