四国リーグ・JSL2部
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 09:02 UTC 版)
「大塚製薬サッカー部」の記事における「四国リーグ・JSL2部」の解説
1955年に大塚製薬のサッカー部として創設。1971年に全国社会人サッカー選手権大会に初めて出場したが、1回戦で藤和不動産サッカー部(現:湘南ベルマーレ)に0-3で敗れた。なお、1973年大会の新日鐵室蘭戦で全社初勝利を挙げた。また、1973年の第53回天皇杯全日本サッカー選手権大会に出場し、1回戦で大阪経済大学を破り天皇杯初出場で初勝利を挙げた。1977年に開始された四国サッカーリーグに第1回から参加。1985年に徳島県リーグに降格した。 1988年、大塚明彦本社社長の意向もあり、それまでのサッカー部とは性質の異なる本格的な企業サッカーチームとしての新生大塚製薬サッカー部が新設された。リーグ規約に則れば新生サッカー部は徳島県社会人リーグ3部からの参加になるはずだったが、旧サッカー部と入れ替わる形で1部リーグからスタートを切った。日産から引き抜いた山出邦男監督の下で1989年には四国リーグへ復帰して4度目のリーグ優勝を果たし、その年の全国地域サッカーリーグ決勝大会で準優勝の成績を残して、1990年より日本サッカーリーグ(JSL)2部へ昇格した。1992年に発足したジャパンフットボールリーグ(旧JFL)1部へ参加した。1993年にリーグ戦を開始するため全国から参加チームを募っていた日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)へは参加しなかった。
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