和田潤 (官僚)とは? わかりやすく解説

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和田潤 (官僚)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/23 08:51 UTC 版)

和田潤

和田 潤(わだ じゅん、1872年5月8日明治5年4月2日[1])- 1947年昭和22年[2]7月30日[1])は日本の内務官僚、政治家。沖縄県知事郡山市長、松阪市長。

略歴

1872年(明治5年)4月2日、高知県香美郡に生まれる。1899年(明治32年)に和仏法律学校(現・法政大学)を卒業し、1901年(明治34年)に文官高等試験に合格する。

内務省に入省。警視庁警部[3]北海道庁警視香川県事務官第四部長、島根県事務官・警察部長、佐賀県事務官・警察部長、大分県鳥取県・沖縄県内務部長を経て、1921年大正10年)に沖縄県知事に就任し、1923年(大正13年)に退官する。

1929年昭和4年)に福島県郡山市長(-1937年(昭和12年))、1937年(昭和12年)に三重県松阪市長(-1941年(昭和16年))を務める。

人物

私学出身で知事に就任するのは稀であったため、和田の知事就任は、床次竹二郎内相の引き上げがあったものと言われている。

栄典

脚注

  1. ^ a b 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、62頁。
  2. ^ 並松信久「比嘉春潮と沖縄研究の展開 : インフォーマントとしての役割」『京都産業大学論集. 人文科学系列』第46巻、京都産業大学、2013年3月、79-112頁、CRID 1050001202928014848hdl:10965/902ISSN 02879727 
  3. ^ 『日本官僚制総合事典』東京大学出版会、2001年11月発行、182頁
  4. ^ 『官報』第1105号「叙任及辞令」1916年4月11日。

参考

  • 『日本の歴代知事』(歴代知事編纂会、1991)
  • 『日本の歴代市長 第1巻・第2巻』(歴代知事編纂会、1983)


公職
先代
大森吉弥
郡山市長
第2代:1929 - 1937 
次代
村井八郎
先代
小出三郎
松阪市長
第2代:1937 - 1941 
次代
後藤脩



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