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和気洋子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/04 14:18 UTC 版)

和気 洋子
人物情報
生誕 (1947-11-18) 1947年11月18日(75歳)
日本 栃木県那須塩原市
出身校 慶應義塾大学 学士 (1970年)
慶應義塾大学 修士 (1977年)
慶應義塾大学 博士 (1980年)
学問
研究分野 国際経済学
環境経済学
研究機関 慶應義塾大学
指導教員 白石孝
称号 慶應義塾大学名誉教授
影響を
受けた人物
福島義久
唐木圀和
影響を
与えた人物
遠藤正寛
セルゲイ・ブランギンスキー
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和気 洋子(わけ ようこ、1947年11月18日 - )[1]は、日本経済学者慶應義塾大学名誉教授。専門は国際経済学環境経済学

経歴

1947年栃木県那須塩原市に生まれる[2]1970年慶應義塾大学商学部を卒業後、1974年まで富士銀行国際部で勤務する[2]。その後、慶應義塾大学大学院商学研究科に進学し、1977年の同課程修了と同時に助手として採用されている[2]1980年に同大学博士課程を修了し、1982年助教授1993年教授に昇任している[1]2013年定年退官となり、同大学名誉教授となる[1]2011年からトヨタ自動車監査役を務めている[1]

人物

商家の三人兄弟の末っ子として生まれ、実家は、肥料商、運送業、倉庫業、バイオ燃料工場、タクシー、レストランなど多くの業種を手掛けた[2]。 慶應義塾大学の最初の二年間は馬術部に所属し、その後入会したゼミナールでは唯一の女子学生であった[2]。ゼミの恩師の「自由貿易は平和のシンボル」という言葉に感銘を受け、国際経済学の研究を志すようになった[2]。その後就職した富士銀行では、大卒であるにもかかわらず、日常業務の大半はコピー取りやお茶くみ、レポートの収集などの単純労働で、企業の意思決定に参画できない虚しさもあり4年で退社したと語っている[2]。教員として着任後は、白石孝とともに国際経済学の理論を研究した[3]。助教授に昇任後、ロンドン大学で在外研究を行う機会を得るが、そこでヨーロッパの経済統合を目の当たりにし、実学的アプローチを意識するようになったと語っている[2]

著書

  • 石井安憲・秋葉弘哉・清野一治須田美矢子・セルゲイ・ブランギンスキー)『入門・国際経済学』(有斐閣、1999年)ISBN 978-4641160828
  • (早見均)『地球温暖化と東アジアの国際協調―CDM事業化に向けた実証研究(慶應義塾大学産業研究所叢書)』(慶應義塾大学出版会、2004年)ISBN 978-4766410877
  • (伊藤規子)『EUの公共政策』(慶應義塾大学出版会、2006年)ISBN 978-4766412604

出典




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