和気斉之
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/01/28 02:01 UTC 版)
和気 斉之(わけ の ただゆき、生没年不詳)は、平安時代初期の貴族。姓は朝臣。官位は従五位下・治部少輔。
経歴
仁明朝後半の承和12年(845年)従五位下に叙爵し、承和14年(847年)刑部少輔に任ぜられる。嘉祥元年(848年)仁明天皇に対する大不敬の罪を犯したため、本来は絞首刑に当たるところ、勅により罪を一等減ぜられ、伊豆国への流罪に処された。またこの時に、親族の大判事・讃岐永直も連座して土佐国への配流となった[1]。
嘉祥3年(850年)仁明天皇が重態に陥る中で恩赦が行われ、讃岐永直とともに入京を赦される。仁寿3年(853年)従五位下に復爵され、翌仁寿4年(854年)治部少輔に任ぜられている。
官歴
『六国史』による。
- 時期不詳:正六位上
- 承和12年(845年) 正月7日:従五位下
- 承和14年(847年) 2月11日:刑部少輔
- 嘉祥元年(848年) 12月4日:流罪(伊豆国)
- 嘉祥3年(850年) 3月18日:聴入京
- 仁寿3年(853年) 5月13日:復爵(従五位下)
- 仁寿4年(854年) 2月16日:治部少輔
脚注
- ^ 『続日本後紀』嘉祥元年12月30日条
参考文献
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