同性愛か?
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/04 13:44 UTC 版)
学者、愛好家の別を問わず、多くの人々の間で、この作品のエロティシズムについて議論がなされてきた。しかし、少年愛はもちろんのこと、同性愛という内容は、依頼主のジュスティニアーニの時代の人びとにとっては、今日ほど、強く意識されるものではなかったようだ。裸の少年は川の土手や海辺で見ることができたし、子供を性愛の対象とみなすことはきわめて文化要因の強い行為であり、カラヴァッジョの時代というよりも、現代の傾向と考えられるからだ。少なくとも、ジュスティニアーニ(彼は同性愛者ではない[要出典])にせよ、彼のもとを訪れる客人にせよ、この作品の道徳的問題を気にした様子はなく、それを問題になりうると考えた痕跡すらみうけられない。ジュスティニアーニ侯爵がこの作品をカーテンの奥に隠していたという逸話の真相は、言われるところによれば、彼がこの作品を来訪者への「最後のとっておき」として、客人がコレクションの他の作品をすべて見終わってからはじめてみせる作品としていたということらしい。つまりカーテンは、これを上げて絵を見せるためにあり、隠すためではなかったのである。(なお、1630年代にジュスティニアーニのコレクションの目録を作成したヨアヒム・フォン・ザンドラルトの言によれば、カーテンは彼が目録を作成したときに、彼の強い要望によって設置されたという。)従って現代人に課されていることは、『愛の勝利』を17世紀人の目を通して見ることである。
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