吉野谷発電所分の送電
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 15:29 UTC 版)
前述の通り手取川水系の水利権取得は1913年のこと(「手取水電」名義)であるが、続いて福澤桃介ら手取水電発起人は手取川水系開発による電力を石川県金沢市ならびに関西地方へと送電するという電気事業を出願した。しかし実際の吉野谷発電所建設にあたり、白山水力では1924年2月西勝原発電所分に続いて東邦電力との間に供給契約を締結した。発電所完成と同時に整備された送電線は吉野谷・西勝原間送電線で、逓信省の資料によると送電線名を「吉野谷線」といい、吉野谷発電所と西勝原発電所を結ぶ亘長47.5キロメートル・送電電圧77キロボルトの路線である。 1926年6月1日より東邦電力に対する吉野谷発電所出力全部の供給が始まった。電力過剰であるとして東邦電力が値下げを求めたため西勝原分より安い1キロワットあたり年間80円での供給(5年契約)となっている。名古屋逓信局の資料によると、1932年末の段階では吉野谷発電所分の電力1万1400キロワットが羽黒変電所にて大同電力から東邦電力へと供給中とあるが、1931年(昭和6年)6月の契約満期に際し交渉決裂して以後受電休止の状態にあった。
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