吉田虎一の胎動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 14:58 UTC 版)
伊達家代々の家臣、御庭番(公称御庭内出入方)頭。大正5年9月発行の宇和島・吉田両藩誌によると、宇和島藩五代藩主伊達村候、寛延2年(1749年)参勤交代で江戸へ出府する。奥州仙台藩と宇和島藩(伊達政宗の長子、秀宗、元和元年(1615年)2月、政宗に見送られ、選ばれた精鋭57騎に守られ、大名として3月18日伊予國宇和郡十万石を領して入国。以来250年間にわたり、伊達家の領国となる)の間に家格に関する確執が起こり、各所で反目、たまたま某所に於いて仙台藩士が「さんざしぐれ」を謡った事から、宇和島藩士、吉田萬助源虎員(虎一)が其の向う張って即興で謡ったのが「宇和島サンサ」一名「萬助節」又は「宇和島諸共節」と謂った。歌誌は伝わるもの約弐拾。その後宇和島藩士の間で士気を鼓舞するために歌われたと言われている。
※この「吉田虎一の胎動」の解説は、「吉田虎一」の解説の一部です。
「吉田虎一の胎動」を含む「吉田虎一」の記事については、「吉田虎一」の概要を参照ください。
- 吉田虎一の胎動のページへのリンク