反政府組織とテロ活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/20 01:48 UTC 版)
「ペルー早稲田大学探検部員殺害事件」の記事における「反政府組織とテロ活動」の解説
センデロ・ルミノソやMRTAなどの反政府組織がテロ活動を通じて、フジモリ政権を揺さぶった。特にフジモリ政権と日本の関係が注目を浴びていたため、日本関係の施設はテロの標的となった。センデロ・ルミノソは1990年12月、1991年4月、1992年12月の3度に渡り、日本大使館に爆弾攻撃を行った。1991年7月には、リマの北約50kmのワラルにあった日本の無償資金援助で建設された野菜生産技術センターがセンデロ・ルミノソの攻撃を受けた。この事件で、日本から派遣された専門家3名が殺害されるという事態になった。 これに対してフジモリ政権は軍や警察を介し、反政府組織へ厳しく対処した。1992年6月にはMRTAの最高指導者、ビクトル・ポライ・カンポスを逮捕。1992年9月にはセンデロ・ルミノソの最高指導者であるアビマエル・グスマンを逮捕。センデロ・ルミノソとMRTAの主要な幹部はほとんど逮捕されていった。 このように反政府組織の解体をすすめることで、テロ事件は減少した。1990年のペルーでのテロの発生件数は2779件、テロによる犠牲者1477名であった。1997年には、テロ発生件数が681件、テロによる犠牲者が130名と大幅に減少した。このようにフジモリ政権のテロに対する強行策は成果を出していた。 反政府組織は弱体化していたが、一定の作戦実行能力は残されたままであった。実際に、1996年12月17日には、MRTAによる在ペルー日本大使公邸占拠事件が発生した。事件は翌年の4月22日に警察の強制突入によって収束した。しかし、日系組織や日本人をターゲットにした報復テロが、いつ発生するかわからない状況は続いていた。
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