反戦・憲法9条
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 07:11 UTC 版)
60年安保やベトナム反戦の運動に参加。また湯川のラッセル・アインシュタイン宣言署名は反核に根差すと語り、「自分はより身近に、一人一人の今の生活を守りたい。戦争はプラスかと問いたい。殺されても戦争は嫌だ。もっと嫌なのは自分が殺す側に回る事」と話す。 2015年、長崎で開催された第61回パグウォッシュ会議世界大会の一般公開プログラムであるドロシー・ホジキン・レクチャーに下村脩教授とともに登壇した。 湯川秀樹、朝永振一郎らの影響と、幼少期に自宅が米軍の焼夷弾の直撃を受けた名古屋大空襲の経験から、平和運動にも意欲的に取り組んでおり、2005年には「九条科学者の会」呼びかけ人を務めていた。インタビューでも「軍隊保有禁止と交戦権放棄を規定した憲法9条だけについて国民投票をすれば絶対に否決される。日本国民は憲法9条変更に賛成するほどばかではない」と述べた。 2015年7月、自身も参加する「安全保障関連法案に反対する学者の会」で安倍晋三とその内閣に退陣を求めた。同月に没した鶴見俊輔を偲んで11月に開かれた講演会でも「安倍首相は日本が戦争ができると言っているが、憲法は絶対にそう読めない」「憲法前文は涙が出るほど美しい。それにこそ日本の生きる道が書かれている」と発言。
※この「反戦・憲法9条」の解説は、「益川敏英」の解説の一部です。
「反戦・憲法9条」を含む「益川敏英」の記事については、「益川敏英」の概要を参照ください。
- 反戦憲法9条のページへのリンク