厩舎入門まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/08 08:05 UTC 版)
1908年、静内郡静内町にある新冠御料牧場に育馬係の技師として勤めていた父・秀幸と母・さとの間に産まれる。稲葉家は江戸時代に稲葉氏が代々治めた豊後国臼杵藩で重役を務めた家であり、明治維新後屯田兵として北海道に渡っていた。家族は牧場内で生活しており、幸夫も場内で馬と親しみながら育った。 尋常小学校卒業後、弁護士を志して上京し、父の伝手を通じて子爵・入江為守の元で書生をしながら開成夜学校に進学した。しかし当時の夜間学校は大学への進学資格が得られない規定があったため、3年生の時に順天中学校に編入し、同時に入江の家を出て目黒競馬場で厩舎を開業していた兄・秀男の元に身を寄せた。 この後、目黒で競馬開催の見物を続ける内に、自身も競馬に携わりたいという思いを強くした。しかし学費を工面していた秀男に思いを打ち明けることができず、4年生の時に目黒を出奔し、鳴尾競馬場にいた叔父・美馬信次を頼った。数日後には信次に連れられて目黒に戻り、その取りなしにより秀男の厩舎で騎手見習いとなった。兄弟子には、後に幸夫と同じく調教師顕彰者となる藤本冨良がおり、藤本は幸夫の入門をきっかけとして入れ替えの形で独立した。
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