原国家法体制期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/07/04 07:35 UTC 版)
フィリピン諸島に住むようになった人々は親族を中心とする「バランガイ」という小集団を形成していた。バランガイは「舟」という言葉に由来する。バランガイは、ダトゥと呼ばれる「首長」を頂点とする30〜100家族の集団で、家族内外の奴隷から成っていた。そこでの法は多くは口承法であり、土地所有権という概念も明確ではなかったが、自由民は土地の用益権を有し、首長は、上級所有権を有していた。奴隷の地位も相対的であり、罰金や債務を履行できないことで奴隷となった者は利子を含めた分を返済することによって自由民の地位を回復できた。 多くの犯罪は罰金刑が原則であり、裁判は被害者からの申し立てにより首長が行った。古老が慣習法の専門家として参加する場合もあった。 親族構造は、男子も女子も平等の相続分を有し、婚姻は一夫一婦制を原則とした。
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