単元説と多元説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 05:09 UTC 版)
(ヨーロッパ世界はキリスト教の世界であったわけであるが)キリスト教世界では、人類はすべてアダムの子孫だ、とする人類単元説や、「神の似姿」としての人間観が説得力を持ち続けていた。だが、ヨーロッパが大航海時代を迎え、ヨーロッパ外の人々に接し、その情報がヨーロッパにもたらされるにつれ、彼らに「人間の変種」あるいは「人種」と見えたものをどう考えるか、ということがひとつの大きな問題として西欧人の間で浮上してきた。こうした問題に関して、ビュフォンほか多くの人々は、人類間の差異というのは風土・食物・習俗の違いから生じているのであり人類はひとつの種だ、とする「人類単元説」を採用したが、それに対してヴォルテールは「人類多元説」を唱え、単元説と多元説の対立は19世紀でも継続し、1859年にパリ人類学会を創設したブローカもそうした問題に言及することになり、人種間の差は動物種間の差よりも大きい、と述べた。 その後、「進化した人種が原始的な人種を支配するのだ」などとする社会ダーウィニズムが登場し、こうした考え方は帝国主義によって好都合のものとして利用されることになった。
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