南京にて:畢碧梅との結婚生活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 05:24 UTC 版)
「井上紅梅」の記事における「南京にて:畢碧梅との結婚生活」の解説
1921年(大正10年)6月、南京に転居。しばらくは上海と往来する生活であったという。南京では蘇州出身の中国人女性・畢碧梅と出会い、1922年(大正11年)4月に結婚した。紅梅が語るところによれば「支那家庭内に入って支那人同様に暮らしてみたかった」という紅梅に、なじみの理髪店店主が周旋したのだという。畢碧梅は、14歳になる子供を伴っていた。なお、『支那風俗』は4巻1号(1922年1月)を最後に停刊した。 南京では著述に専念し、『匪徒(土匪研究)』、『支那各地風俗叢談』、『金瓶梅と支那の社会状態』などを手掛けた。しかし、経済的な困窮は相変わらずであり、結婚後アヘン中毒に罹った妻も紅梅を悩ませた。のちに紅梅は結婚生活について「本統に大切な時期」であったと回想しているが、結局紅梅は碧梅と離婚することとなった。1924年(大正13年)10月に蘇州に単身転居した。さらにその1年後には上海に戻ってきた。
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