千里山郊外学園
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 01:21 UTC 版)
「大阪市立扇町高等学校」の記事における「千里山郊外学園」の解説
1934年には千里山郊外学園を開設した。 新京阪鉄道(現在の阪急京都線・千里線・嵐山線)は当時沿線の宅地開発を図り、三島郡千里村・三島郡新田村・豊能郡小曽根村の行政境界付近にも宅地予定地として土地を所有していた。しかし駅から離れていて交通の便が悪いことや、行政境界が入り組んでいることで手続きが面倒になるなどの理由で、宅地開発には不向きと判断されて自然の状態で放置されていた。 その土地について、当時児童・生徒の健康増進のために郊外施設の設置を検討していた大阪市の思惑と一致し、新京阪が土地を貸し出して大阪市が整備する形で、野外活動施設・千里山郊外学園を開設した。千里山郊外学園には扇町高等女学校のほか、大阪市内の集英尋常小学校・菅南尋常小学校・西天満尋常小学校も自校独自の郊外学舎を開設している。 終戦後には郊外学園の土地賃貸契約を解除し、新京阪の経営を継承した京阪神急行電鉄に土地を返還することになった。そのため1958年に郊外学園は廃止されている。郊外学園跡地は宅地として開発されている。
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