千葉俊崖 西山禾山 中川大宝 儀山善来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 09:06 UTC 版)
「釈宗演」の記事における「千葉俊崖 西山禾山 中川大宝 儀山善来」の解説
1873年、建仁寺塔頭の両足院の千葉俊崖師に就き学問と修行に励む。ここで後に建仁寺派管長になった竹田黙雷と知り合う。その後黙雷とは知友となる。しかし1875年に俊崖師が遷化して建仁寺山内の「群玉林」での学林生活は終わった。 1876年、師匠の越渓守謙の命令で愛媛県八幡浜の大法寺に行き越渓の法嗣弟子西山禾山について修行をするが、僅かな日数で挫折して、その後、越渓守謙の許可を得て滋賀県三井寺の中川大宝律師に就き倶舎論を研究する。この三井寺での勉学中に、当時阪上真浄(後の臨済宗大学初代学長)が住職をしていた、永雲寺(大徳寺派)に1年ほど滞在した。その縁があったこともあり、その後釈宗演が臨済宗大学(後の花園大学)第二代学長となった。 1877年、再び越渓守謙の命を受けて、備前岡山の名刹曹源寺の儀山善来に就き修禅することとなった。。儀山善来は、釈宗演の得度師匠である越渓守謙そしてその後円覚寺で替わって師匠となった今北洪川の二人の師匠でもあった。釈宗演が師事した頃、既に儀山善来は76歳の老境であったが、提唱および参禅の指導を受けたのである。
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