西山禾山とは? わかりやすく解説

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西山禾山

読み方にしやま かさん

臨済宗の僧。伊予生。須賀吟助の子。初名は禅別号に玄節・禅愚、室号は不顧庵、法諱を玄鼓。八幡浜大法寺の瓊谷について得度竹内e州に儒学学び金剛山大隆寺〓巌に維摩経等を学ぶ。のち羅山元磨・雪潭紹璞独園承珠越渓守謙等に歴参。越渓の印可を受け大法寺18世となり、明年妙心寺に晋住。また全焼した大法寺落慶し、その後塔頭退休軒に居した。大正6年1917)寂、81才。

西山禾山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/01 05:38 UTC 版)

西山 禾山(にしやま かさん、1838年1月19日天保8年12月24日) - 1917年大正6年)4月3日)は江西山大法寺の18代住職。臨済宗師家。現在の愛媛県八幡浜市穴井出身。

略歴

父は須賀吟助、母は徳子という。12歳の時に八幡浜市の江西山大法寺の徒弟となり、20歳頃から約10年間、宇和島市の 金剛山大隆寺の晦巌について修行する。さらに久留米市の梅林寺や、岐阜県伊深の正眼寺などで座禅を習った。その後、京都の相国寺で越渓老師に参禅しようとしたがその時は相国寺を去っていたために、後継者となっていた独園につく。越渓が妙心寺の天授庵で僧堂を開いたので、同じ妙心寺の大嶺院に住み、明治元年から越渓の猛烈な指導のもと修行に励む[1]

エピソード

平櫛田中は明治31年に寄宿した谷中長安寺で西山禾山の臨済録の提唱を聞き[2]、仏教的テーマを題材にした「活人箭(かつじんせん)」「法堂二笑(はっとうにしょう)」「尋牛(じんぎゅう)」などを数多く制作している。また、高村光太郎も禾山の影響を受け、歌集『白斧』に禾山に関する歌をのせている。

脚注

  1. ^ 高橋新吉『禅の伝燈』宝文館、1977年、100頁。 
  2. ^ 高橋新吉『禅の伝燈』宝文館、1977年、99頁。 



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