千葉への批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/21 04:47 UTC 版)
千葉の「一切の押しつけを排する」という主張は、人間の衝動である「こひ」を満足させることにあるというのが基礎にあった。千葉の主張は「こひ」とか「むすび」という日本古来の哲学用語を用いるなど、あまりにも突飛なので教育学会の主流に迎え入れられることはなかった。千葉は自分の理論を「日本固有の神道に基づく考え方だ」などと日本主義的な議論の部分もあった。 千葉は雑誌に発表した論文「創造教育より見たるお染久松論」で、「久松は先祖代々の家を捨てて、主を捨てて、命がけの徹底に進み彼は感激をもって死を迎えた」「すなわち、ひとつは情を捨てて義に生き、一つは義を捨て情に生くるごとくに見ゆれども、その生きるや、全我、全衝動の徹底満足を求めた恋の人たる点において、ひとつではなかろうか」と書き、これが教育者として不適切であり、忠節による死と情死とを同一視することがそもそも誤りだと、批判を浴びた。千葉はその後も一切衝動皆満足論を提唱し続けたが、この主張を真面目に探求したものほとんど現れず、危険視された。 千葉はこの論文を書いて間もなく議会でも問題にされ、小学校主事(校長)をやめなければならなくなった。
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