千秋公園の与次郎稲荷神社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/15 14:59 UTC 版)
「与次郎稲荷神社」の記事における「千秋公園の与次郎稲荷神社」の解説
慶長年間 - 久保田城三ノ丸八幡山の小八幡別当寺・金乗院境内に与次郎稲荷神社が建立される。金乗院は寛文元年(1661年)までに城下手形休下町から八幡山へ移転してきたもので、与次郎稲荷神社はそれ以前から八幡山あるいは北ノ丸に所在していたが金乗院境内へ移設されたとする説もある。 明和4年(1767年) - 外町大火で焼失した寺町の大八幡と一乗院が八幡山へ移転し、金乗院が別当を解かれ北ノ丸へ移転。この際、与次郎稲荷神社も北ノ丸へ移転したとみられる。 天保 - 弘化年間(1831 - 1847年) - この頃、金乗院が三ノ丸東方へ移転。与次郎稲荷神社はそのまま北ノ丸に残ったとみられる。 嘉永2年(1849年) - 保戸野金砂町の東清寺境内へ移転。万延2年(1861年)とする説もある。 1892年(明治25年)6月26日 - 本丸(現在地)へ移転。明治29年8月とする史料もある。 1926年(昭和元年) - 現在の社殿が完成 。 1966年(昭和41年)4月1日 - 住居表示実施に伴う区画変更で、所在地が千秋公園になる。
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