十三駅の事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/26 16:49 UTC 版)
「阪急500形電車 (初代)」の記事における「十三駅の事故」の解説
1926年10月14日の夕方、神戸発大阪行き508-509-510の3両編成が十三駅を発車後、最後部の510号の後部台車がポイントの途中転換から宝塚線転線用の引上げ線に異線進入した。引上げ線には電動貨車の1208号が停車しており、2本の線路を斜めに跨ぐ形で引き摺られた510号の後部側面が1208号の前部と衝突し、510号の前部が下り線を支障した状態で停車した。対向の下り神戸行き606-602-604が非常ブレーキをかけるも間に合わず510号と接触(602は802の説あり)、606・602の前面と側面・屋根を小破、604の運転台付近で停車した。 神戸行きの600系は阪急初の量産全鋼製車であり、事故は結果的に史上初の全鋼製車同士の衝突事故となった。事故の規模に対して人的被害は重軽傷者3名と少なく、全鋼製車の安全性が評価される形となった。 阪急の下降窓を採用した理由として、510の事故で2段上昇窓に女性の長い髪が挟まれて脱出の支障になったため、とする説が伝わっているが、600系はこの事故よりも先に一段下降窓を採用している。 事故後、510号は川崎造船所へ輸送されたが、修復されることなく解体され、車籍は代替新製された600形の制御車である800形のラストナンバーの807に継承された。このため、写真・図面ともほとんど残っておらず、台車等の装備品の詳細については不明である。
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