医学、学術の活動
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1945年、京城帝国大学医学部の教授兼医学部長に選出され、当時新しく発足した朝鮮医学協会の会員となる。終戦後、朝鮮が日本による統治から解放された1946年、京城帝国大学がソウル大学校に改組されると同時に、ソウル大学校医科大学教授兼医科大学院長に選出された。1948年5月1日、朝鮮医学協会第2次総会で会長に選出され、大韓民国成立に従い朝鮮医学協会は大韓医学協会と名称を変更。以後第2代、第3代会長に選出され1952年4月30日まで在職した。 1947年7月国際対がん連合(UICC)会長から第6回国際癌学会への招請を受け、翌年9月、船で慶北大学校医科大学の高秉幹教授と共に渡米、9月14日サンフランシスコに入港、セントルイスで開催された会議に参加した。この時発表した「韓国人の癌に対する統計学的研究」(1947)、「アントラキノンの投与により発生したウサギの胃ガン」(1947)についての研究成果は1948年の「Cancer Research」誌に紹介された。
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