北辰一刀流 玄武館
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千葉周作の三男・千葉道三郎から相伝を得た宇都宮藩藩士小林誠次郎(定之)は、明治維新後、警視庁抜刀隊で活躍、警視庁撃剣世話掛を務めた。その後、東京市本所区菊川町に至誠館という道場を開いた。 誠次郎には子がなく、勝浦四郎が養子となった。四郎は30歳で北辰一刀流の免許を授けられ、小樽の野田和三郎娘のハルと結婚し養子となった。1913年(大正2年)、南部楼の敷地内に道場を建て小樽玄武館と命名した。 1933年(昭和8年)、小樽玄武館に内弟子として14歳で入門した小西重治郎成之は、18歳で師範代となる。1938年(昭和13年)、1944年(昭和19年7月)野田四郎が病死。小樽玄武館の土地建物は人手に渡った。重治郎は、三浦から五代目として継承したという。 1950年(昭和25年)、重治郎は東京都杉並区に玄武館道場を建て、荻窪警察署に、警察大学校で指導した。重治郎は2008年、小西真円一之が六代目として玄武館館長を継承した。 系譜 千葉周作成政 - 千葉道三郎光胤 - 野田四郎 - 三浦義勝定之 - 小西重治郎成之 - 小西真円一之
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