北東方面と海上護衛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 03:23 UTC 版)
「天山 (航空機)」の記事における「北東方面と海上護衛」の解説
1944年に入ると北海道〜アリューシャン方面でも米軍の活動が活発化したため、同年4月終わりに本土で搭乗員養成を行っていた第五五三航空隊の所属機が九七式艦上攻撃機とともに占守島に進出。その後も天山の追加配備を受けながら占守島や道東から哨戒活動に就いていたが、フィリピン方面の戦局悪化により、10月に部隊は天山1機と九七式艦上攻撃機数機を残して移動した。残存機は直ちに「北東航空隊」に編入、引き続き対潜哨戒にあたったが、1945年春に天山は事故で失われた。このほか第九〇一航空隊といったシーレーン防衛を担う航空隊でも天山は船団護衛や対潜哨戒任務に用いられていたが、1945年初頭に南方航路が事実上寸断された後は艦船攻撃任務に充当されることとなった。
※この「北東方面と海上護衛」の解説は、「天山 (航空機)」の解説の一部です。
「北東方面と海上護衛」を含む「天山 (航空機)」の記事については、「天山 (航空機)」の概要を参照ください。
- 北東方面と海上護衛のページへのリンク