北川潔水とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 北川潔水の意味・解説 

北川潔水

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/05 03:27 UTC 版)

北川 潔水(きたがわ きよみ、1896年明治29年)8月30日[1] - 1957年昭和32年)12月14日[1])は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍少将

経歴

広島県出身[1]1917年大正6年)5月25日、 陸軍士官学校(29期)を卒業し[1]、同年12月25日、陸軍砲兵少尉に任官し野砲兵第5連隊付となる[2][3]1926年(大正15年)12月24日、陸軍大学校に入校し、1929年(昭和4年)11月29日、同校(41期)を卒業し陸軍士官学校に配属された[4]

1939年(昭和14年)1月19日、明野陸軍飛行学校教官に就任し、同年3月9日、航空兵大佐に昇進[5]。同年8月1日、関東軍の第2飛行集団付としてノモンハン事件に出動した[1][5]。以後、第28飛行戦隊長、陸軍航空士官学校教官、同校生徒隊長を務め、1943年(昭和18年)3月1日、陸軍少将に昇進[1][5]1944年(昭和19年)3月22日、第32軍参謀長に転じ、沖縄の守備に従事[1][5]。同年7月8日、台湾軍参謀副長に転じ、改編により同年9月12日、第10方面軍参謀副長に就任し台湾の守備に従事[1][5]

1945年(昭和20年)2月12日、独立第25飛行団長に転じ、さらに同年6月22日、第55航空師団長に就任して、シンガポールで終戦を迎えた[1][5]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[6]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i 『日本陸軍将官辞典』254頁。
  2. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』403、408頁。
  3. ^ 『官報』第1621号、大正6年12月26日。
  4. ^ 『日本陸海軍総合事典』第2版、582頁。
  5. ^ a b c d e f 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』408頁。
  6. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」54頁。

参考文献

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「北川潔水」の関連用語

北川潔水のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



北川潔水のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの北川潔水 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS