加藤正夫による調査
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/09 05:29 UTC 版)
この原証言に関する記載について1993年に現代史研究家の加藤正夫が調査したところによれば、関特演の予算担当者だった加登川幸太郎少佐や、関東軍参謀の今岡豊中佐らは、関特演での慰安婦動員は聞いた事がないと証言した。他にも 関特演時の関東軍の兵站担当参謀は多忙で自分から集めに行く時間がない。関特演の際の大量の兵士や軍馬の動員は極秘に準備されたもので、慰安婦集めのような目立つことをするわけがない。関特演は二カ月の作戦予定であったので、慰安婦は必要としない。千田は日債銀(旧朝鮮銀行、現あおぞら銀行)に、総督府の「慰安婦」徴発資料があると主張しているが資料などない。当時の満州では朝鮮人経営の遊廓が、多数営業していたため、改めて「慰安婦」を「調達」する必要はない。などの指摘をしており、加藤が千田夏光本人に矛盾点を問い詰めたところ、千田は原証言は実際に行ったインタビューではなく、千田自身がすべて創作したことを認めた。加藤が千田夏光本人に電話で問い合わせたところ、千田は「島田俊彦武蔵大学教授の著書『関東軍』(中公新書 1965年)の176ページに“慰安婦二万人動員計画”が書かれており、それが私の説の根拠だ」と答えている。
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