割烹着の考案
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 00:01 UTC 版)
このほか、その起源には諸説があるが、一説には割烹着の考案者としても知られている。医師の加藤時次郎が着用していた外科服などから着想を得て、従来、女性が着物を着て家事をするときに邪魔になっていたたもとを筒袖を使って解消したのが始まりである。 こうして考案された割烹着は、1906年に雑誌『月刊食道楽』や『婦人世界』誌上で発表された。『月刊食道楽』では「音羽嬢式台所上衣」、『婦人世界』では「弦斎式料理服」という名称が使われ、割烹着の作り方が解説された。また、村井多嘉子自身も割烹着を着て『食道楽』の続編の口絵に登場している。 割烹着は和服をすっぽりと覆うことができ、社会学者の石田あゆうによれば、衛生面に気を配った料理を促進し、国民の健康維持に貢献するものとされていた。
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