初期キリスト教とビザンティン様式の建造物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 06:53 UTC 版)
「テッサロニキ」の記事における「初期キリスト教とビザンティン様式の建造物」の解説
詳細は「テッサロニキの初期キリスト教とビザンティン様式の建造物群」を参照 テッサロニキは初代教会や東ローマ帝国時代には重要な都市で、いくつかの初期キリスト教の記念物が残されビザンティン美術やビザンティン建築の発展に東ローマ帝国やセルビア全体に貢献している。都市が継続して発展していた時のビザンティン建築の発展とテッサロニキの繁栄は、帝国が創建した最初の年代に関連している。4、5世紀にローマ皇帝ガレリウスのロトンダと凱旋門や最初の教会ディミトリオス聖堂が造られた。8世紀、テッサロニキは東ローマ帝国の行政の中心となり多くの東ローマ帝国やバルカンの事柄を扱った。この間、テッサロニキではより卓越した教会が造られ、現在ではそれらは世界遺産に登録されたテッサロニキの初期キリスト教とビザンティン様式の建造物群である。1430年にテッサロニキがオスマン帝国の支配下に入ると多くの教会はモスクに転換されたが、今日でもこれらの教会は残っている。アギオス・ディミトリオス聖堂や市内の他の多くの記念物は1917年の大火により焼失したが、その後再建されている。第二次世界大戦中は市内の広い範囲で爆撃を受け、多くの初期キリスト教と東ローマの建造物は大きな被害を受けた。多くの場所では1980年代まで修復されなかった。テッサロニキは他のギリシャの都市に比べて多くの場所が世界遺産に登録され、その数は15に上る。これらは1988年以来のものである。
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