分裂から消滅へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/10 15:54 UTC 版)
「シャドウ・レーシング・カーズ」の記事における「分裂から消滅へ」の解説
1978年はベテランのクレイ・レガツォーニとハンス=ヨアヒム・スタックが加入し、サウスゲートが残した「DN9」で走ったものの下位に沈み、決勝5位が最高成績だった。 サウスゲートは「DN9」の図面をもとにアロウズのマシン「FA1」を製造したが、シャドウはこれをデザインの盗用であると訴え、法廷闘争に持ちこみ勝訴した(FA1は使用禁止)。この一件はマシンデザインの知的財産権を巡り1990年代後半から論争となる「コピーマシン問題」の先例となった。 1979年は若手のヤン・ラマースとエリオ・デ・アンジェリスを起用したが、予選落ちを喫することもあった。最終戦で4位に入賞したアンジェリスは名門ロータスに引き抜かれた。 1980年は香港の大富豪テディ・イップがスポンサーとなり、ステファン・ヨハンソン、デビット・ケネディ、ジェフ・リース(後に日本のレース界で活躍する)らが出走したが予選落ちの常連となった。第5戦ベルギーグランプリ後にイップがチームを買収。第7戦フランスグランプリをもってシャドウの名での活動を終え、マシンや施設などはセオドール(第二期)に引き継がれた。
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