分裂し全日本キックボクシング連盟が設立
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「マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟」の記事における「分裂し全日本キックボクシング連盟が設立」の解説
1987年6月に、幹部だった西川純が叛乱をおこしたため、MAキックの日本王者全員と加盟ジムの多くが離脱し、新たな団体全日本キックボクシング連盟を設立した。MAキックから一瞬にして王者が全員いなくなり、新団体に流出してしまった。こうして、MAキックは分裂した。 1989年1月、日豊企画社員であり連盟事務局員として興行全般をとり行なってきた石牧利恭(主任兼マッチメーカー)足立聖一(兼リングアナウンサー)の突然の退社により同社による興行の継続は実質不可能となった。 1989年1月14日の興行は士道館主体のものとなり、この興行を最後に、朋昌(すなわち石川と日豊企画)はキックボクシングから完全撤退した。そして当連盟は機能を完全に停止したのである。
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