分裂、そして指定暴力団へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 16:35 UTC 版)
「第6次沖縄抗争」も参照 時の理事長であった富永清の率いる9組織が離脱したうえで、1990年に「沖縄旭琉会」という新団体を発足、そのまま熾烈な抗争に突入した。この年だけで無関係の市民を含む6名の死者と12名の負傷者を発生させ、市民間における反暴力団の機運を高める結果となった。1992年における暴力団対策法の施行はこの抗争を一因としたものであった。同年6月をもって旭琉会・沖縄旭琉会の両者揃って同法に基づく指定暴力団となるに至った。同年のうちに抗争終結が宣言されはしたものの、そのまま2つの「旭琉会」が並立、緊張を伴う“冷戦状態”が以後20年余にわたって継続することとなった。
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