刀工・和泉守兼定について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 00:23 UTC 版)
「和泉守兼定 (土方歳三佩刀)」の記事における「刀工・和泉守兼定について」の解説
江戸時代の刀工・11代目関兼定により作られた刀である。兼定は美濃国関(岐阜県関市)で活躍していた関鍛冶の代表的な刀工であったが、4代目関兼定が当時会津を領していた蘆名家の招聘に応じて会津に移住しており、以降は会津兼定として代々会津を代表する刀工として活躍していた。11代関兼定は陸奥会津藩お抱え刀工として受領した官位から和泉守兼定とも呼ばれており、幕末には京都守護職を務めていた会津藩主である松平容保に従って上京し、京都でも作刀していた。なお、司馬遼太郎の『燃えよ剣』は、本作を歌仙兼定などを作刀した2代目の和泉守兼定(通称之定〈のさだ〉)のものとしているが、歴史学者の本郷和人はあくまでもフィクションであると指摘している。
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