函館市会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 07:19 UTC 版)
1922年(大正11年)から、函館市会議員を2期務めた。市会議員としての岡田は、市政の腐敗、議員たちの不正や疑惑を厳しく指摘するなど、異質な存在であった。1924年(大正13年)に函館水電の水電事業市営化問題が起きた際には、岡田の政治活動は極度に活発化した。市会のみならず、雑誌や新聞紙上でも函館水電、関係重役、水電派の議員たちへ猛攻撃を繰り返した。また自ら電圧計を入手し、電灯の電圧を計測することで函館水電の契約違反を責めた。市民の電灯料不払同盟を牛耳り、函館水電争議の急先鋒として、函館水電を相手に個人で訴訟まで起こした。 こうした岡田の活躍は函館市民から喝采を浴び、市政界の名物ともいわれた。また第1期で図書館問題が解決しなかった後も、再当選することで図書館問題に再び挑むことができたが、これは市政や議員を糾弾したことで市民たちの喝采を浴び、より多くの票を集めたことによるものである。
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