出馬断念および中途撤退の候補者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/12 12:58 UTC 版)
「イラン大統領選挙 (2005年)」の記事における「出馬断念および中途撤退の候補者」の解説
モフセン・レザーイーの撤退がもっとも重要である。レザーイーは監督者評議会で承認され6月15日夕方まで選挙戦に参加した。6月15日は最終盤の投票2日前すなわち選挙戦最終日で、時刻的にも期限ぎりぎり数時間前の発表であった。レザーイーの表明によれば「国民の票の統合」と「その効果」のための撤退であった。レザーイーはその後他の候補を支持していない。 その他、立候補届出以前に出馬を断念した候補者もあり、ごく初期の出馬断念から立候補届出直前の断念まで多岐にわたる。以下はメディアで真剣に取りざたされた候補者の一覧。 改革派:サフダール・ホセイニー。経済財政相。イスラーム・イラン参加戦線所属。 ハーディー・ハーメネイー。イマーム戦列従事者集団所属。2004年12月6日断念。 モハンマド・レザー・ハータミー。前マジュレス副議長。イスラーム・イラン参加戦線書記長。 ハサン・ホメイニー。ルーホッラー・ホメイニーの孫。 ミールホセイン・ムーサヴィー。元首相。2004年10月12日断念。 モハンマド・ムーサヴィー=ホエイニーハー。MCS所属。2004年11月21日断念。 ベフザード・ナバーヴィー。前マジュレス副議長。イスラーム革命モジャーヘディーン機構所属。 モハンマド・アリー・ナジャフィー。前教育相。 アブドッラー・ラーメザーンザーデ。政府報道官。イスラーム・イラン参加戦線所属。 保守派:ゴラームアリー・ハッダード=アーデル。マジュレス議長。選挙からの撤退し保守派の連携を図ると表明。 アブドッラー・ジャスビー。イスラーム自由大学学長。ラフサンジャーニーを支持して撤退。 モハンマド・ジャヴァード・ラーリージャーニー。理論物理学数学研究所所長。兄アリー・ラーリジャーニーを強く支持。 ホセイン・ミールモハンマド=サーデギー。前司法府報道官。 アフマド・タヴァッコリー。マジュレス議員。マジュレス研究センター所長。前大統領候補。2005年5月1日立候補断念。保守派の候補とりまとめのためと表明。ガーリーバーフを支持。 アリーアクバル・ヴェラーヤティー。最高指導者外交顧問。元外相。イスラーム連帯党の推薦により保守派が支持。革命勢力調整協議会による推薦の受け入れは拒否し無所属として臨むこと、および外務大臣として補佐したラフサンジャーニーの立候補表明があれば撤退することを表明。5月14日の立候補届出期限までに届出はなく、選挙戦ではラフサンジャーニーを支持。 独立系シーリーン・エバーディー。2003年のノーベル平和賞受賞者。人権派と呼ばれる独立系党派の支持を受けたが2005年1月2日に撤退。
※この「出馬断念および中途撤退の候補者」の解説は、「イラン大統領選挙 (2005年)」の解説の一部です。
「出馬断念および中途撤退の候補者」を含む「イラン大統領選挙 (2005年)」の記事については、「イラン大統領選挙 (2005年)」の概要を参照ください。
- 出馬断念および中途撤退の候補者のページへのリンク