出自等に関する異説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/05 04:06 UTC 版)
祥光院の父を講談で有名な塙団右衛門直之(永禄10年(1567年)生まれ)とする説話がある。 元和元年(1615年)の大坂夏の陣で団右衛門が討死した際に、娘が伊達軍に捕えられて政宗の侍女となり、のちに側室となって宗泰を産んだというものだが、仮に団右衛門の娘が政宗の側室となったことが事実であったとしても、宗泰の生年から見れば、団右衛門の娘が宗泰の生母である可能性は無い。しかしながら、明治27年(1894年)の『伊達略系』がこれを採用し、大正4年(1915年)の作並清亮『東藩史稿』および昭和8年(1933年)の菊田定郷『仙台人名大辞書』もこれを引用したため、現在ではこの説が広く流布している(同説については塙直之の項を参照のこと)。 また岩出山伊達氏の文書の中には、祥光院が政宗の側室となったのは文禄元年(1592年)で、元和元年(1615年)に死去したと記しているものもあるが、上述の政宗書状との整合性を欠く。
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