出自・即位まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 18:25 UTC 版)
アルメニア人貴族大ヘラクレイオス(英語版)(親子同名)の息子として生れた。父方はカッパドキア貴族の出身でアルメニアの名族アルサキド家の血筋で、母はエピファニアといい、ユスティニアヌス1世の妹ウィギランティアの曾孫である。故にヘラクレイオスはウィギランティアの玄孫(孫の孫)で、ユスティニアヌス1世から見れば玄姪孫、ユスティニアヌス1世の後継者でウィギランティアの息子ユスティヌス2世の曾姪孫にあたる。女系ながらユスティニアヌス王朝の5人の皇帝達とは血縁・縁戚関係にあった。 608年、マウリキウス(在位:582年 - 602年)から帝位を簒奪し、暴政を行ったといわれるフォカス(在位:602年 - 610年)に対し、カルタゴ総督であった父が反乱を起こした。610年10月、ヘラクレイオス(息子)が首都コンスタンティノポリスへ艦隊を率いて攻め寄せると、首都はわずか2日で開城し、皇帝フォカスは処刑された。コンスタンティノープルに入城したヘラクレイオスは10月5日、コンスタンティノープル総主教セルギウス1世(英語版)によって皇帝として任命された。
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