出自と関東入国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 17:39 UTC 版)
織田氏庶流の津田氏の生まれであり、父の秀重と共に織田信長に仕え、岳父の滝川一益の与力として旗下に加わる。天正2年(1574年)3月、信長の嫡男・信忠の命より、祖父・織田秀敏の跡を継いだ。 天正10年(1582年)2月の甲州征伐にも従軍し、同年3月23日の一益の上野国拝領に伴い松井田城を任され、後閑氏の後閑城を攻め落としている。しかし、直後に織田信長が本能寺の変で戦死し、織田政権が瓦解した。信濃および上野を支配していた滝川一益とその寄騎の政治基盤も急速に揺るがされることとなった。同年6月18日、19日の神流川の戦いに一益方として参加。敗戦後に関東諸将と別離の宴を開いたのち、秀政や滝川益重や道家正栄ら滝川の諸兵は上野・信濃を放棄し、本拠地である伊勢及び尾張に帰還した。
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