処罰および晩年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/16 08:35 UTC 版)
「アリスティデス・デ・ソウザ・メンデス」の記事における「処罰および晩年」の解説
メンデスは一切取り繕うことなくビザを発給し続けたため、本国ですぐに問題となる。ポルトガル政府は1940年6月23日、メンデスの発給したビザを無効とした。また、懲罰委員会によって「正気を失った人物」として非難された。生命の危険にさらされた避難民を救うという道徳的な理由についてのメンデスの訴えは退けられ、公務員はいかなる理由があろうとも命令に疑問を呈する資格はない、として懲戒を受けた。その後メンデスは退職せざるを得なくなった。 退職後メンデスは12人の子供を抱えて経済的に困窮することとなる。友人たちからも見捨てられ、近親者からもその行動を非難され、違背者の汚名と借金を背負ったまま死去した。しかし最後までビザを発給したことは後悔していなかった。
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