八幡神社_(中津川市千旦林)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 八幡神社_(中津川市千旦林)の意味・解説 

八幡神社 (中津川市千旦林)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/23 00:12 UTC 版)

坂本神社八幡宮
所在地 岐阜県中津川市千旦林642
位置 北緯35度28分45.33秒 東経137度28分15.76秒 / 北緯35.4792583度 東経137.4710444度 / 35.4792583; 137.4710444座標: 北緯35度28分45.33秒 東経137度28分15.76秒 / 北緯35.4792583度 東経137.4710444度 / 35.4792583; 137.4710444
主祭神 大山祗大神 帯中日子命 誉田別命
社格 式内小社
創建 大宝2年(702年
地図
八幡神社
八幡神社 (岐阜県)
テンプレートを表示

坂本神社八幡宮(さかもとじんじゃはちまんぐう)は、岐阜県中津川市千旦林に鎮座する神社

祭神

歴史

元々は神坂峠の道中安全を祈願し、大山祗大神を祀ったのが初まりで、

大宝2年(702年)に、豊前国宇佐神宮より勧請し社殿を建立したと伝わる。

延長5年(927年)に完成した延喜式には坂本神社、中川神社恵那神社の三社が記されている。

時期は不明であるが、豊前国宇佐八幡宮を勧進し合祀している。このころから坂本神社八幡宮と改称したとされる。

平安時代になると本地垂迹によって神仏混淆となり、八幡神阿弥陀如来と同一とされ、社僧が神事を支配していた。

観応3年(1352年)、檀那であった宗信と、社僧の保澤が、木彫の神像13体を奉納した。

坂本神社諏訪社の社伝によると、坂本神社は延文2年(1357年)に野火による社殿の焼失後、遷座して諏訪神社となったとある。

このことから坂本神社八幡宮となったのは南北朝時代と推測される。

天正2年(1574年)、武田信玄の命により木曾義昌阿寺城を攻めて落城させ、城主の明照遠山氏の遠山友重は討死を遂げた。

その時に坂本神社と別当寺、恵那神社等を焼討したため社殿が失われた。

その後、木曾氏の家臣で、信濃から来て千旦林村に居住していた嵐讃岐(彦兵衛)[1]によって社殿が再建された。

江戸時代になると、尾張藩の重臣で木曾代官を世襲し千旦林村の領主でもあった山村甚兵衛家によって、村民が協力して改修し復元された。

寛永正保年間(1624~1648年)には、社僧の大龍院権大僧都快春が、坂本神社八幡宮を支配した。

天保3年(1832年)、現在の社殿が建立され復興した。

明治元年(1868年)、神仏分離令により、それまであった梵鐘は大林寺へ移された。

美濃国式内社の坂本神社は、この八幡神社の他に坂本神社諏訪社とされている。

坂本神社という神社は坂本神社八幡宮なのか、それとも坂本神社諏訪社かについて明治時代初期に論争されたが、結論が出ず、両社とも坂本神社の名前は使用しないで、「八幡神社」「諏訪神社」を正式名とすることになった。現在は、通称として八幡神社は「坂本神社八幡宮」、諏訪神社は「坂本神社諏訪社」と称している。

元々は坂本神社八幡宮の地に坂本神社が鎮座していたのが、鎌倉時代から南北朝時代のころに焼失。移転遷座したのが坂本神社諏訪社、元の坂本神社の地に再建されたのが坂本神社八幡宮という。

別当寺・付属寺

願成寺

江戸時代、坂本神社八幡宮前に天台宗大智山 願成寺があったが、明治元年(1868年)の神仏分離令で廃寺となり、その跡地に、明治6年(1873年)「松風校」が開設された。明治11年(1878年)「千旦林小学校」と改称されたが、明治34年(1901年)に中平へ移転した。

普門院

長野県東筑摩郡朝日村の熊野神社に残る鰐口に、

美濃國 遠山庄 大井郷 千旦林 普門院 丹明 辛卯 六月十八日 頼光 敬白

と彫られている。

普門院とは、坂本神社八幡宮の傍らに当時存在した附属寺であり、朱添書には文明十八云々と記述されていることから、

信濃小笠原氏が恵那郡中部を占領中の文明18年(1486年)に鰐口を奪い、

朝日村の熊野神社に奉納したという事実を示すものである。

禅洞庵

嶺松山 大林寺は、元は坂本神社八幡宮の別当寺が始まりであったとされる。

天正8年(1580年)、甲斐国巨摩郡長坂清光寺五世の照庵玄光が、戦乱を避けてこの地に至り、坂本神社八幡宮の別当寺に入り、東の洞に禅洞庵という草庵を結んだ。照庵玄光は禅洞庵で没した。

元和8年(1622年)、寺名を禅洞寺に改め、 寛永10年(1633年)、洞垣外に移り大林寺となった。

その他

この他に、大善院、玉円坊、下ノ坊、仙福院、妙音庵、長善庵、政所の諸坊があったと「美濃御坂越記」に記されている。

大善院跡は現在の田中裏の薬師堂付近と言われ、普門院跡に十王堂が建っていたことを、寺社書上げが記録している。

美濃御坂越記における記述

明和2年(1765年)に記されたものであるが、筆者は不明である。

八幡宮 村ノ中程 街道ノ 北ノ方 松山ノ内ナリ 社内木像十三体 作僧保沢 観応三辰九月[2] 社壇南向街道迠 大門道ニテ 鳥居アリ 東ノ方ハ 神主屋敷 西ノ方ハ 大智山願成寺 別当天台宗屋敷有 普門院 大善院 玉円坊 下ノ坊 仙福院 妙音庵 長善庵 政所 右八ヶ所ハ 田地ノ アサ名ニ有 神主別当ノ両屋敷ハ 森ノ内故ニ 田畑ニナラスシテ 石垣ノ古跡アリ 遠山氏繁昌ノ節迠 山城国 男山ノ 宮殿ニ模シテ 結構善美ノ 荘厳ナリシカ 天正二年 阿寺落城ノ時ニ 坊舎焦土トナリ 神領没収セラレ 神主社僧逃走シ 殿舎破壊シテ 今ハ本社一宇残レリ 社名帳 美濃国 恵那郡 三座ノ内 坂本神社ハ 此社成ヘシ 郡内ニ 坂本ト云フ所 外ニナク 由緒ノ社見エス[3]

指定文化財・天然記念物

中津川市指定文化財

  • 木造狛犬一対[4]

像高55cm 鎌倉時代 指定年月日:昭和42年3月24日

横向きの狛犬で、彩色は落ちている。銘が無い為、作者・年代は不明。ヒノキの寄木細工であることから、鎌倉時代末期の作と推定される。

  • 木造御神体像[5]

像高20~33cm 室町時代 指定年月日:昭和42年3月24日

神像11体、僧像2体の内、笏持ち神像6体、衣冠服装10体、顎髭御顔9体。すべて木彫(一本彫り)桧材を用いた彫刻で腰高な形が多い。像の底部に、観応三年[6]の記入のあるものが6体ほどある。

中津川市指定天然記念物

  • 八幡神社のヒトツバタゴ[7]

目通周囲 1m 、0.84m 樹高 22m 指定年月日:昭和46年10月28日

ヒトツバタゴモクセイ科の植物で、国内での分布は木曽川中流域と対馬のみである。5月頃に四裂して細く白い花が咲き、満開の時は雪の様である。非常に珍しく見慣れない木であるため、「ナンジャモンジャの木」とも呼ばれる。この木は根元で2幹に分かれている。

周辺の遺跡

坂本神社八幡宮の森の北の丘陵に鎌倉期から室町期の窯跡が多数あり、一部が岐阜県の史跡指定を受けている。

この付近を含め広範囲にわたり、鎌倉、室町期の白瓷系陶器(山茶碗)の破片が採集される。

また、五輪塔、宝篋印塔も各所に見られ、坂本神社八幡宮より距離はあるが西垣外遺跡からは、中世の住居跡が発掘され関係遺物も出土している。

交通機関

高速バスの「中津川千旦林バスストップ」とは異なる。

外部リンク

参考文献

  • 『中津川市史 中巻Ⅱ』 第五編 近世(二) 第六章 宿・交通 第一節 中山道 三、中山道の道筋 千旦林 p1087 - p1091 中津川市 1988年
  • 『中津川市史 中巻Ⅱ』 第五編 近世(二) 第八章 寺社 第一節 神社 二、中世の神社 p1587 - p1592 中津川市 1988年
  • 『中津川市史 中巻 別編』 第三 江戸時代中津川市関係の概観資料(四)村の様子 8 千旦林村 p725 - p736 中津川市 1979年
  • 『恵那郡史』 第三篇 平安時代(中古後期) 第十二章 神社・佛敎 坂本神社 p74 恵那郡教育会 1926年
  • 『恵那郡史』 第四篇 鎌倉時代 第十六章 遠山氏(一) 岩村・千旦林八幡社 p106 - p107 恵那郡教育会 1926年
  • 『土岐市史 1 (原始時代-関ケ原合戦)』 第十二編 近世封建社会 第一章 安土桃山時代 ■坂本神社を焼く p397 土岐市史編纂委員会 1970年

脚注

  1. ^ 千旦林小石塚に「讃岐様」とよばれる墓石がある。中世の主な墓の形式である五輪塔から、現代の墓の主な形である塔婆形へ移行する過渡期の墓石である。墓石は高さ1.2m、幅52cmで、碑面は中央に「空風火水地喝」の文字が彫られ、「月翁字清禅定門 十三回忌辰 嵐讃岐 寛永三年 初夏念日 孝子 八男建焉」とある。 嵐讃岐の邸跡は、この所より西に200m、山を背に、前に深沢川をひかえた通称「さぬきど」(字・沼尻)と呼ばれている場所にあり、今もそこには五輪塔が1基が残っている。
  2. ^ 1352年
  3. ^ (1765年)
  4. ^ 木造狛犬一対”. 中津川市 (2011年1月6日). 2013年4月24日閲覧。
  5. ^ 木造御神体像”. 中津川市 (2011年1月4日). 2013年4月24日閲覧。
  6. ^ 1352年
  7. ^ 八幡神社のヒトツバタゴ”. 中津川市 (2011年3月3日). 2013年4月24日閲覧。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「八幡神社_(中津川市千旦林)」の関連用語

八幡神社_(中津川市千旦林)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



八幡神社_(中津川市千旦林)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの八幡神社 (中津川市千旦林) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS