全国炭鉱労働組合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/10 04:57 UTC 版)
「アーサー・スカーギル」の記事における「全国炭鉱労働組合」の解説
1973年から1981年まで全国炭鉱労働組合ヨークシャー支部長を務めるが、この間誠実で勤勉な働きぶりと労働者の福利厚生に熱意を傾けていたことから、左派の間では一躍名の知られる存在となる。1973年には炭鉱労働者のストライキで主導的な役割を果たし、これが元で翌年3月に時のエドワード・ヒース政権が崩壊する。 組合の一層の民主化を掲げて挑んだ1981年の炭労委員長選挙にて、70%の得票率を得て当選を果たす。炭鉱産業とこれに依存する共同体の将来を憂う立場から、サッチャー率いる保守党政権の政治姿勢には終始対決した。 1984年から翌年にかけてスカーギルが先導した炭鉱労働者ストライキは、組合の分裂などが響き、労働者側の完敗に終わる。ストの後、圧倒的多数の支持を受け全国炭鉱労働組合の終身委員長に選出される。なお、この選挙はスカーギル以外の候補に十分な準備期間を与えられず、議論の余地のあるものであったとされる。 2002年7月末、委員長職をイアン・レイヴェリーに譲り自らは名誉議長の座に就く。
※この「全国炭鉱労働組合」の解説は、「アーサー・スカーギル」の解説の一部です。
「全国炭鉱労働組合」を含む「アーサー・スカーギル」の記事については、「アーサー・スカーギル」の概要を参照ください。
- 全国炭鉱労働組合のページへのリンク