入部 (平塚市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/20 23:30 UTC 版)
入部 | |
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大字 | |
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平塚市入部から同市広川の方面を見た風景
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北緯35度21分03秒 東経139度18分29秒 / 北緯35.35075度 東経139.308047度 | |
国 | ![]() |
都道府県 | ![]() |
市町村 | ![]() |
地区 | 金田地区 |
人口情報(2023年(令和5年)9月1日現在[1]) | |
人口 | 0 人 |
世帯数 | 0 世帯 |
面積([2]) | |
0.057857892 km² | |
人口密度 | 0 人/km² |
郵便番号 | 259-1218[3] |
市外局番 | 0463(平塚MA)[4] |
ナンバープレート | 湘南 |
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入部(いりぶ)は、神奈川県平塚市に存在する町名。金田地区の内の一つの地名。単独町名であり、住居表示は未実施。2023年9月1日現在の世帯数と人口は0人である[1]。
概要
入部は平塚市街から北西方向に遠く離れた位置に所在している町丁である。周辺の他の地名では東と北に入野、南に長持、西に広川とそれぞれ接している。
歴史
- 1666年 - 地名を「長持入部」と称する。
- 幕末以前 - 幕府領である相模国大住郡に入部村が存在した。全域で7反の総耕地であったが、5反は小田原藩へ移管された。
- 1889年4月1日 - 大住郡入部村が同郡内の長持村、寺田縄村、飯島村、入野村と合併し、大住郡金田村となる。
- 1896年3月26日 - 郡制の施行のため大住郡が淘綾郡と統合され、金田村の所属郡が中郡に変更。
- 1956年9月30日 - 金田村が平塚市に編入され、金田地区となり。同市の町名としての入部になる。(平塚市#地域も参照)。
学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2022年3月時点)[5]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
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全域 | 平塚市立金田小学校 | 平塚市立金旭中学校 |
周辺の交通

- 公共交通機関は一切存在せず、最大の道路は隣町の入野から続く平塚市道入野52号線である。
- 最寄りのバス停は入野にある「水神橋」バス停。
その他
日本郵便
脚注
- ^ a b “人口と世帯・町丁別人口と世帯(推計人口による)” (XLSX). 平塚市 (2023年9月11日). 2023年9月20日閲覧。 “(ファイル元のページ)”(CC-BY-4.0)
- ^ “『国勢調査町丁・字等別境界データセット』(CODH作成)”. CODH. 2023年8月24日閲覧。(CC-BY-4.0)
- ^ a b “入部の郵便番号”. 日本郵便. 2023年8月23日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
- ^ “小中学校学区”. 平塚市. 2022年3月20日閲覧。
- ^ “郵便番号簿 2022年度版” (PDF). 日本郵便. 2023年7月17日閲覧。
「入部 (平塚市)」の例文・使い方・用例・文例
- 新入部員にクラブの規則をよくわからせる
- 私がテニス部に入部した理由は、自分でもよくわかりません。
- 私はソフトテニス部に入部しました。
- 野球部に入部しました。
- 私は輸入部門でした。
- ソフトボール部に入部しています。
- 輸入部門でした。
- 美術部に入部しました。
- 私は陸上部に入部していました。
- 私の娘は軽音楽部に入部しています。
- 私は運動が苦手なので文化部に入部しました。
- 私は吹奏楽部に入部した。
- 私、株式会社小川金属工業の仕入部の主査の松本と申します。
- 新入部員にクラブの規則をよくわからせる。
- ダンス部に入部しませんか。
- フットボールチームに入部を志願する.
- あの男は新入部員のくせにでかい面をしていた.
- 今度の土曜日に新入部員の歓迎コンパを開こうじゃないか.
- 導入部により話し手の言語学における傑出した経歴が強調された
- 劇への導入部
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